そば猪口100個集めてみたら−骨董屋の詩の本を紹介しています。
情報は、書店等に御確認のうえ、御自分の責任で、御利用ください。
そば猪口100個 集めてみたら
− 骨董屋の詩 −
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書籍名 |
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そば猪口100個 集めてみたら
− 骨董屋の詩 − |
著者 |
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柿谷 すすむ
| 埼玉県所沢市北秋津 212-6
TEL・ FAX 042−995−0626 |
出版社 |
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むげん出版
| 連絡先
TEL・ FAX 042−995−0626 |
価格 |
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1890円 (税込) |
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ページ数・版型 |
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119ページ 26cm |
発行年月 |
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2005年11月 |
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著者の柿谷すすむ氏は所沢で骨董のお店「古美術 柿の木」を営んでいます。
骨董業界では目利きと呼ばれていて、特に「そば猪口」については第一人者です。
氏はコレクションやお店で扱っている膨大な数のそば猪口の中から100個を厳選しました。
そしてそのひとつひとつのそば猪口に愛情をこめて短い文章を添えています。それを読むと氏のそば猪口への熱い想いが伝わってきます。
そういう意味で、そば猪口へのラブレター集とも言えます。
また、この本の後半の骨董に関するエッセイもすばらしいものです。 |
著者から一言
本が書店にない場合は、私のお店「古美術 柿の木」にも置いてありますし、そば猪口もたくさんありますので一度遊びにきてください。 ( 御来店の節はお電話ください。 )
新井薬師アンティーク・フェアにも出店していますので、骨董市にもお越しください。
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本の内容の紹介
そば猪口100個 集めてみたら
私が初めてそば猪口を買った時、そこの骨董屋の御主人にそば猪口100個集めてみたら古伊万里の目利きになると言われた。
集めているうちにそば猪口病にかかってしまい、百個どころか今や二千五百個余りのそば猪口と同居している。
それでも飽きることなく、この小さな器への愛しさがますますつのり、心がそば猪口にすいこまれてゆく。
そば猪口と遊びながら、自分がいやされていることにきづく。そば猪口に話しかける。
この絵いいね。こんなに勢いがあって細い線を描けるなんて名人の技だね。
それに見ていて楽しくなる絵だね・・・とか、そば猪口の中に住んでいる陶工に話しかけたりしている。
他人(ひと)はいよいよ狂うたのかと思うだろう。
そんな時は私の心が江戸時代に遊びにいっている時ですからそおっとしておいてほしいのです。
ここには、そば猪口と遊びながら、今思ったこと、感じたことを書いてみた。
明日になったら、また違うストーリーになったり詩になったりしているので、私の書いたことに、あまりこだわらないで
ください。
所詮、私の勝手な妄想なんですから。
皆様は皆様の自由な発想で夢をひろげて楽しんでください。
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桃子の壺
中学2年の時、桃子と私は同じ日に転校してきた。転校生の二人はなにかといじめられ、特に桃子に対するいじめはひどかった。
桃子がこづかれていた。桃子が床にふせて、背をまるめて泣いている。私は、わーわーと大きな声を出して桃子をいじめているやつらに向かっていった。
多勢に一人、こてんぱんになぐられ、桃子の背に重なるように押し倒されていた。
高校3年も終わろうとする頃、桃子から手紙がきた。私たちは故国に帰ります。
偉大なる指導者さまとともに、平和で平等で思いやりのある豊かな美しい国をつくります。
そのユートピアづくりに参加できることに喜びを感じています。
私は今、故国の清らかな山河に想いをはせています。
でも、あなたのようにやさしかった方々とお別れすることもまたつらく、心残りなのです。
次の日曜日に小さなお別れ会をいたしますので、ぜひぜひ来てください。と達筆で書いてあった。
その日、私は桃子のために野の花をつんだ。金沢の瀬の川の土手に沿って、土壁に鉢をふせたような藁葺屋根の朝鮮人部落があった。その中の一番大きな家が桃子の家だった。
桃子はチマチョゴリを着て待っていた。桃子は春に咲くどの花よりも美しかった。その日、はじめてマッコリ(どぶろく)を呑んだ。ほろほろとして、いい気持ちになった。
桃子は哀愁を帯びた声でアリランを歌った。桃子の目から涙があふれていた。
すすむ、古いもの好きやったねー。 私といっしょに美術館行ったことあったわね。うれしかったー。
これ、すすむにあげる。そう言って、小さな白い壺を私にくれた。この壺、私の国のもので、とっても古いもんなのよ。
私、これに金平糖入れてたの。綺麗でしょう。もう会えんかもしれんからね。
この壺、私だと思って大事にしてね。

それから二年がたって、北朝鮮から桃子の手紙が届いた。私はすぐ返事を書いたが、三ヶ月ぐらいたってもどってきた。
なにか不安な気持ちになった。さらに何年かたって、高校の同窓会名簿が送られてきた。
私は一番に相馬桃子の名前をさがした。桃子の名前がない。そして最後の死亡者の欄に相馬桃子の名があった。
涙があふれ、ほほをぬらす。桃子が死ぬなんて。かわいそうな桃子よ。
そして桃子の李朝の壺を手の中に包み込み、だきしめていた。
雪に青い月のあかりを添えたようなその白さよ
清らかな中にやさしさがある
小さな壺なるが故に愛らしい
そのすべてが桃子のような気がする
愛しいものよ 野に咲く花を入れようか
赤 白 黄に空色の
チマチョゴリとおんなじ色の
金平糖を入れようか
それとも私の泪をいれましょうか
私は骨董屋ですが、この李朝の小壺だけは間違っても店に出ることはないのです。
桃子と私の淡雪のようにせつない想いとともに、私の心の奥にしまいこんでいるのです。
骨董屋でも、どうしても売れない骨董品の一つや二つはあるものなんです。
柿谷 すすむ
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